はじめて訪れる土地の、見ず知らずの場所に確実に導いてくれるナビゲーションシステム(以下、ナビ)は、スマートフォンの普及によって、今や“ひとりに1台”という身近な存在になりました。しかし、デジタルマップ、現在地の測位、そしてルート案内を組み合わせたナビの歴史をヒモ解くと、まずはクルマ用=カーナビとして誕生して、進化、普及してきました。
そんなカーナビの原型とされているのが、日産の「ドライブガイド」やトヨタの「ナビコン」、そしてホンダの「エレクトロジャイロケータ」と名づけられた商品でした。これらの登場はすべて1981年ですから、その1981年こそ、世界のカーナビ元年といってもいいかもしれません。しかも、ここから2000年代初頭までの20年以上にわたって、カーナビにまつわる技術は、日本が世界をリードしていきます。
日産ドライブガイドやトヨタ・ナビコンは、昔ながらの紙の地図で目的地までの距離と方向を入力すると、地磁気センサーや車速センサーによって、走行中に進むべき方向と残り距離を示してくれるものでした。ホンダのエレクトロジャイロケータは、一見すると現在のカーナビに似ていますが、表示されるマップは差し込こまれたフィルムでした。つまりアナログ。そのマップ上に現在地を手動で設定すると、当時のジャンボジェットで使われていた“慣性航法装置”でマップ上に自車位置を表示し続けるという仕組みでした。
こうして見ると、これらのシステムはカーナビの先祖ではあっても、日産やトヨタのそれは方向を示すだけ、ホンダのそれはマップ上に現在地が示されるだけ……と、私たち現代人が思い浮かべるカーナビの姿とは、まだまだ離れていたといわざるをえません。
現代の私たちがイメージするカーナビといえば、ダッシュボードの真ん中に画面があって、そこにデジタルマップが表示されて……といったところではないでしょうか。その意味で、現在に近いスタイルを初めて採用したカーナビの元祖は、1987年9月にトヨタ・クラウンに搭載されて世に出た「エレクトロマルチビジョン」かもしれません。このときのエレクトロマルチビジョンは、8代目としてデビューした新型クラウンの最上級グレード=ロイヤルサルーンGで装着車を選ぶことができました。
このシステムは、赤外線センサーを使ったタッチパネ式の6インチCRTディスプレイを中心に、オーディオやテレビ、方位磁針、メンテナンス画面などを表示・操作できるものでした。その機能選択ボタンのなかには「地図」というものもあり、専用CD-ROMをセットして、その地図ボタンを押すと、マップ、高速道路図、クラウンを取り扱うトヨタの販売店情報が表示されるようになっていたのです。
当時のエレクトロマルチビジョンでは、日本全国約1240枚のマップ画面、176の高速道路情報画面、全国のクラウン取り扱い販売店情報(店名、住所、電話番号)など、約1800枚分の画面データが1枚の専用CD-ROMに収録されており、それらの情報をCRTディスプレイ上に呼び出せるようになっていました。
マップ表示はまず全国マップから16の地方図(道北、道南、南関東など)からひとつを選び、さらに16分割のグリッドから地区図(関東なら東京都全体と周囲3県の一部のほどの広さ)、そして基本図、詳細図……とステップごとにマップ表示が詳細になっていく仕組みでした。
しかも、そこにはロケーション機能が組み合わせられているのも、当時としては画期的で、マップ上に現在位置をセットすると、走行中は地磁気センサーと走行距離をもとに演算した現在地・走行経路・走行方向がマップ上に表示されるようになっていました。
このように、デジタルマップを車載ディスプレイに映し出して、しかも自車の現在地も表示できる……と、一見するとに現代のカーナビの元祖ともいうべきエレクトロマルチビジョンでしたが、地磁気センサーだけでは現在地を正確に示し続けるのはむずかしいのが現状だったようです。また、当時は道案内機能もなく、現実的には「画面上で(まだまだ紙が普通だった)ロードマップが閲覧できる、そして高速道路路線図が確認できる、最寄りのトヨタ値販売店の住所と電話番号が確認できる」といった程度の役割しか果たせなかったようです。
ちなみに、カーナビはここからわずか4年の間で、現在地測位にGPSが取り入れられて、目的地検索やルート案内ができるようになっていき、現在のカーナビの基本形が完成します。しかも、これらの技術を世界で初めて商品化したのは、すべて日本メーカーだったのです……。
■著者プロフィール
佐野弘宗
自動車ライター。自動車専門誌の編集を経て独立。現在はWEB、一般誌、自動車専門誌を問わずに多くのメディアに寄稿する。新型車速報誌の「開発ストーリー」を手がけることも多く、国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー役員へのインタビュー経験も豊富。2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員